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ちょっとだけ確度をあげる所作。

未来のことを考えるにあたって、まず最初にかなり具体的なゴールを決める必要があるだろうか、みたいな雑談をした。それが良いかどうかというよりも、本当にそれって可能なんだっけ、という感じ。

未来のことは不確定要素があるから、ゴールはぼやける。複数のゴールを設定していずれかに到達すれば良いみたいな設計になるかもしれないね。将来の不確定性を無視して未知のものに対して明確なゴールを緻密に描くのはSF作家のお仕事で、それに対しては、そういう世界もいいよね、と感想が述べられるだけ。色々妄想を掻き立てられはするかもしれないけれど、完全にその通りにはならない。

不確定要素があるのは仕方ないんだから、そこは不確定としておいてまずは進んでみる。もちろん確度の高い情報を無視する必要はなくて、そこのバランスが難しいのだけれど。可能な限りフェアな(経験バイアスなどの少ない?)分布を仮定して、カバレッジが上がるようなゴールを設計してみて、進めてみて、そこで得られた結果から分布を更新して、だんだん確度が上がっていく、そんな所作に思える。

 

出来るだけフェアな分布を仮定する、なんとなく良いフレーズだなと思った。既成概念にとらわれない的な。真の分布を知る、世の中のあらゆる情報を得ることはできないけれど、限られたリソースで少しずつそこに近づけようとする所作。ゆるくてふわふわで一つのことに全力投球できないからそういうところに良さみを感じてしまうのかもしれないなぁとも思いながら。

『広く浅く』ともまた違って(それこそ既成概念の塊だ)、多分深く掘らないと見えない世界もあるから、いくつか深く掘ってみなきゃいけない。そうやって深く掘ったことが、ほかの方向に転用が利くかもしれないし、利かないかもしれない。未来はわからないうえで、全部は網羅できないうえで、どういうヒューリスティクスが有効か、効率的か。もちろんガチャなので回す回数を増やす努力もいるのだろうけれど。

 

会話の最中そんなことをぼけーっと考えていたのだけれど、話は変わって、『なんでD進したいんだっけ?』との質問。『尊敬する人、目標像みたいなのがあるのか』そんな感じ。正直なところパッと浮かばなかった。そういう目標を立てて、向かう過程を考えると自ずと分野やら方向性やらが決まってくるという意図だったと思うんだけれど、残念ながら。

じゃあなんでD進したいんだっけ、と考えてみると、何となく、ぼけーっとさっきまでそういう話題だったこともあり、出来るだけ自分の中でフェアな分布を構成できるようにしていきたいと思うからなのかもしれないな、という気がしてきた。

コロコロと仕事が変わって、その中で僕はギョウムチシキなるものを身につけてきたらしい。それはたくさん積んであるもののひとつひとつは薄っぺらくて、無いよりはマシだが、それでもあまり価値のあるもののようには見えなかった。マネジメントや調整が上手な社内の人々は口をそろえて『君は技術は十分だ』という。もちろん技術以外の諸々をやれという気持ちが暗に込められているのは言うまでもない。色々足りてないのは重々承知だけれど、技術は十分と言われれば、『本当に?』『このままたとえば10年、ここに居続けても十分なまま?』などと思うわけだ。たとえばフェアな分布が好きだから、たとえば僕に投げつけられる意見が偏ったものに聞こえるから、外の世界をしっかり見て、しっかり深いところまで掘って、ちょっとだけ自身の仮説の確度をあげる所作をやりたいのだ。

 

尊敬する人について色々思いめぐらせていたら、祖父が浮かんだ。僕が進学したときや就職したとき、他の親戚各位ただただ喜んでいる中*1、唯一『自分の行きたいとこに行けたのか』と僕に聞いてきた。あれは間違いなく既成概念にとらわれていない、そしてちょっとだけ確度をあげる所作だった。

*1:進学先も就職先もそこそこあの世代にはウケが良かった。