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8月第4, 5週

4週目はランニング2の筋トレ0、5週目はランニング1の筋トレ2。ちょっとサボり気味。体重は最終計測日から+1.0、まぁまたぼちぼち落とさねば。

労はやらねばと思いながら一応やっているという感じ。先々週のあんまり良くない状況からは抜け出せてない気がする。そういえばちょっと前に外向けに何かやったタイミングで採用サイトのアクセスが増えたという報告があり、「増えたけど今そういう職募集してなかったわハハハ」みたいな話をした(????)。

研はまぁぼちぼち。せいいっぱいのrebuttalは書いたのでrejectもらうのみ。あとはまぁ良いコメントもらえたと思ったので、その辺含めて改善案を検討している。ベースラインになる手法も見つかったし実装方法も概ね明確になったのでまぁ良いだろう。

そういえば最近エーアイくんの話題が盛り上がっていた。ただのラッダイト運動だったらよかったのだけれど、神への冒涜というか、宗教戦争なんだよなぁアレはみたいな感じのアレ。マーケットが大きいから治安の悪い層が当然存在することに加え、やっぱ信仰*1に紐づいてるのは難しいよなぁと思っている。それは創造性という神秘を取り扱う宗教への信仰という体裁なんだけれど、冷静になってみると創造性の要素ってほとんどなくて、それは信仰と技術によるものなんだよなぁみたいな。

創造性と信仰と技術のコンタミ、大体労働が悪いせいで起こっていると思っている。人々の心を豊かにするものと普段のルーチンや仕事に使うもの、どちらに心のよりどころを置くかは前者で明らかなんだけれど、どうも前者を生み出すための技術を技術と認めたがらない傾向があるような気がする。神々は長年学び習作を積み重ね色々描けるようになるに至ったはずで、それを技術と呼ばずしてなんと呼ぶのかという気がしているんだけど、なんだろう、業務色というか、労働の香りがする表現はやっぱり嫌だったりするのだろうか、それを創造性という言葉で濁している気がしている。労への嫌悪があるため、ついでに心まで豊かになっちゃうものだからそれは労で使われる言葉である技術であるはずがないなんて感じで、労の世界と神々の世界をあえてわけるために技術という言葉を避けて、創造性と呼んで、それを信仰してる宗教に何となく見えている。

じゃあ創造性って何なんだっけ?みたいな話になっちゃうんだけれど、僕は手持ちの技術を含む様々な制約化で、最大限の良いものを作ろうとする営みだと思っている。最大限良いものを作ろうという営みがポイントで、再現性の薄い、量産に向いてないようなある種の限界に挑戦するような取り組みだと思っている。逆に、プロセスがある程度定まっていて、何となく完成のめどが感覚的に立って、安定的に生産できたりする、そういうやつはあんまり創造的じゃないんじゃないかなーと思っている。ぶっちゃけ受け手には全然関係ない、作り手の間や個人だけで共有される何かだと思っている。この点を受け手が解釈するのは、簡単ではなく、それこそそれ相応の技術がいるもののような気がしている。

労働などはわかりやすくて、あんまり属人性に頼らず、画一的なプロセスでうまく回る仕組み、ツールが良いものとされている。変にクオリティに本気を出して納期に間に合うかどうかハラハラしたりしたら困るわけで、安定供給が求められる。なのでいわゆる「創作活動」のほうが創造性を発揮する余地が残っているというわけだ。で、じゃあいわゆる「創作活動」と呼ばれるもの全部創造的かと言えばそうとは思えなくて、むしろ消費者に合わせて神々がシステマティックに個々の技術で安定的に生産できる体制を整えているという風に思える(もちろん全員がそうとは言わないけれど)。skebなんかはそれを前提としたサービスだと思っている。描けるようになるのも技術だし、安定させるのも技術だよね。

で、創造性を発揮するかどうかはぶっちゃけ受け手(信仰者とか消費者)にあんまり関係ない、というか受け手がむしろ創造性を殺している側面すらあると思っている。受け手に価値があることは、受け手にとって需要のあるタイミングで需要のある作品が提供されることで、こういう言い方するとあぁ労じみてきたなぁなんて思うわけだけれど、結局需要に合わせてJust on timeで安定的に供給できると信仰者が増えるはずだ。創造性とか関係ないのだ、支配的なのは安定的に求められる作品を供給できる技術だ。読み手に支配されて手を動かすのが安定的供給を生んで、創造性を殺してる気がするのだ。

そんなこんなで、僕が気にしてたことは二つ、以下のように何となく腹落ちしたのだった。一つは僕が大嫌いで大好きな創造とかいう生産性のかけらもない営みとの今後の付き合い方についてだ。エーアイがどんなふるまいをしてくれようとも僕の好奇心が残っていて、かつ僕の能力に限界がある限り創造性は死なないし、体力があるうちは多分ヒィヒィ言いながら相変わらず気が向くと虚無を輩出したりするのだろう。創造性なんてのは受け手、消費者が気にする部分ではない、いつだって非生産的な行為と向き合う僕たちのものだ。そしてもう一つは市場についてで、もちろん長い目で見れば神々のお仕事が減っていく、市場は小さくなっていく可能性についてはある程度諦める必要があるなぁと思っているけど、それはそれとしてあの界隈の経済の大部分は信仰によるものなので、うまくやれば案外長生きするのではないかという気もしている。壊滅したらそれはエーアイのせいではなくて界隈の民度じゃなかろうか。

反エーアイの信仰を深めようと思うと、今まで以上にお絵描き配信とかが流行るかもしれないなーと思った。制作過程自体が開示されるのはエーアイさんがつくったものではないことを示すだけでなく、ひと昔前にイノベーションおじさんたちが大好きだったプロセスエコノミーっぽいし、いいんじゃないですかね、知らんけど。それでダミー絵師立てて配信するとかが流行ったらやっぱり神を殺したのはエーアイじゃないよね。

久々にポエム書いた寝る。

*1:信仰って言うとなんかカルト宗教とか教信者とか浮かべてしまう人もいるかもしれないけれど、信仰は心のよりどころになったり、人々の文化に深く根付いているものという認識で使っています。