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人間関係ポエム。

月曜日、問題なく出社したが、ツールの使い方が間違っていることが判明し半日の進捗が溶ける回だった。定時後あたりに判明し、ちょっとやるかと思ったが、近隣スペースで人が集まり会話などをしており*1、定時後のメリットである静かさの失われがあったので帰ることにした。

SNSで人々が相互ブロックしあうやり取りを観測した。こういうのはどちらが悪いかみたいなことを考えてしまいがちだが、なんというかそういうのはあまり気にするべきではないのかもしれないなぁみたいなことを考えていた。

世の中には色々な人がおり、外堀を上手に埋める人もいるし、逆にメンがヘラっているようなケースでは適切な行動が出来るとは限らない*2。部分的な観測をもって、正確な判断が出来るとは限らない*3

そもそも某SNSにおいて僕は人間性などでフォローするかどうか決めてないのだ。一言でいえばコンテンツ力であり、一般にコンテンツ力の高い人格破たん者は面白い*4。色々な人がいるからそんな中でどの人を眺めるか、どの人とつるむか、そういうのを選択すればよい。今回は互いが互いにつるむのをやめるのが適切だという意思決定が行われた、それでおしまい、そういう感じで良いのだろう。誰から見ても良い人など、まさにノーフリーランチって感じだ。

こんなことを考えていたのは、なんとなく『人は良くなければいけない*5』みたいな圧力を感じることがちょいちょいあるからだ。人に人となりがどうあるべきかを強いるというのは、期待とのギャップがあるということで、だとすればその人に強いるなんてことをせず、もっと良い人を探すのが手っ取り早そうだ。しかしながらそれが出来ないというのは人を選ぶ権利がなく、限られた人でなんとかしなければならない、そういうケースが多いからなのかなと思う。

例えば大学の教授さまなどは学生を選べず、残念ながら試験で成績が閾値を超えた者を受け入れるしかないし、アレな学生に対して『退学するか留年するか決断してください』などと勧告することもできるが*6、その意思決定は教授ではなく学生にゆだねられている。理想的な人間を選ぶことが出来ないなら、なんとかそうでない人間で代替するという戦略になるのが自然だろう。大学では教育という観点も辛うじてあるかもしれないが、人を選ぶことが出来ないことが、人に変化を求めることを強いる圧力の原因となるというのは結構あるんじゃないかなと思う。

選べないということは上手にマッチングできないということで、そうなるとやっぱり誰にでも当たり障りがなく、何でも出来る汎用人工知能みたいな超人的存在が世の中求められる感じになっちゃう気がして、やっぱ人に対して関わる関わらないを自分で選べた方が全体としてはよさそう*7なんじゃないかなぁとか思いつつ、もしそういう世界だったら僕指導教員様にスパッとクビきられて中退させられてたってわけかーってなるとうーんって感じだし色々難しいなぁと考えていたらもう寝る時間という話だった。

*1:もちろんそんな時間にそんなことをするのは私と同じ国の者たちだ。

*2:特にこれは自戒を込めて。

*3:もちろん、世の中大体そういう状況で判断することを強いられるのだけれど・・・。

*4:ひどい。

*5:我ながらひどく抽象的で稚拙な表現だ。

*6:アウトかもしれない。

*7:自分で書いておいてあれだがどういう観点で良いのだろう・・・?

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