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200万円。

あえてなんのことかは言及しないんだけど200万円*1という数字がずっと頭の中から離れない1か月だった。200万円にはポジティブなやつとネガティブなやつがあると思うが、これは後者、ネガティブなやつだ。

1か月間、ネガティブな200万円という数字に揺さぶられ続けられていた。別に200万円について誰かが僕に詰めてきたワケではなく、ただ僕が一人で凹んでいた。狼狽していた。

200万円、まぁ小さい額ではない。例えば僕が海外で初めて買った車、僕が一番絶望的に株取引でマイナスを出していた時期(もちろんそんなタイミングで損切りはしてないが)、毎年払ってる学費、100万のオーダーというと例えばそれくらいで、逆に言ってしまえばそんなものだ。

そんなものだと言えるほど僕には収入もないだけれど、実際僕自身は前述の諸々についてそこまで大げさな数字だと思っていなかったし、つまるところこれらについてそういうメンタリティであったという事実が重要で、そのはずなのに今月はそのちっぽけな数字にずっと悩まされていたのだ。奇妙な話である。

なんとなく心当たりはあって、今月のネガティブな200万円とかいうやつは僕のお財布や通帳に入っている200万円ではないのだ。僕の通帳の200万円だったら僕が一喜一憂するだけなのだけれど、件の200万円が原因で原因で例えば僕の見えぬところできっと詰められる人間などが生じるのだ。そしてそんな関係者各位の中には僕が詰められ事件関係者として嫌な思い出が刻まれるのだ(これはただの自意識過剰である)。

200万円位、詰められない世の中だと良いのだけれど、世の中は透明性の高いお金の計算が重要視されており、200万円の追及のために人件費が1000万円かかってしまっても仕方ないことになっている。それが生産的な行為であるかは問題ではなく、残念ながら我々はそういう世界で生きている。お気持ち、納得感の重要性は最優先される。きわめて人間的な所作である。

そういう構造自体を馬鹿げていると一蹴できるかというとそういうわけにもいかず、例えばこの件について僕自身、どうしようもないことに一喜一憂していることは自覚していて、それでいてなおずっと揺さぶられているという滑稽な状況なわけで、つまるところこれもある種のお気持ち、納得感の重要性というやつで、あぁ僕も人間的な生き物なのだなぁという話になるのだ。残念ながらそういう愚かな人間なのでやっていくしかないのである。つら。

*1:まぁまぁ印象的な出来事だったので、まぁ後でこの記事を見ても何のことか思い出せるだろう。