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人に納得してもらうということ。

ある話を聞きその良し悪しを判断するという過程を考える。たとえば就活の面接とかでも良い。聞き手側としては、たとえば自分が明らかにしておきたい点をいくつか考えておいて、そこを埋める感じで会話をしていくという方法があるのかなと思うのだけれど、多分そんなことをするのは稀なのかなと思う*1

じゃあどんな風にそこの判断が決まるのかと言うと、『何となく自分がポジティブな気持ちになったかどうか』みたいな属人的かつ気分によって変わってしまいそうな概念で判断をしているのが多数派な気がしていて、それに加えて話し手が上手に心地の良い作り話をしている可能性もあるから、『数個意地悪な質問をしてそれに耐えられるかどうか』みたいな雑すぎるルールを追加で採用しているケースもある気がする。意地悪な質問は『こんな斬新な切り口もあるぞ』とマウンティング出来るので、聞き手の強さアピール的観点でも良い*2

一方で話し手側の視点として、大雑把な指針として『なるほど』と何回思わせるかという観点がある。学生時代にバイト先の個別指導の塾で『生徒さんに1日最低1度は『なるほど』っと思わせてあげてください、それでオッケーです』と言われて『なるほど』と思った事がある*3

聞き手側の前提知識に合わせて2つ、3つほど受け入れやすい仮定や事実、そしてその論理展開を通じて、新たな興味深い事実や仮説に到達、これが私の伝えたいことです、などとすると『なるほど』となるのだろう。この塩梅が難しく、前提から大きく飛躍してしまったり、論理展開が多すぎるとついていけなくなり『何言ってるのコイツ』となってしまう。論理展開の正確性を妥協して大雑把にジャンプしてみたり、伝えたい内容の正確性を諦めて、少しの論理展開でそこに到達させるだったり、そういった感じのことをして、自身と異なる前提知識の人への説明内容を構築していく。その説明内容は時としてわかる人には受け入れ難いものになりうる。

聞き手と話し手の前提が大きく異なる場合、内容を理解してもらうというよりはなんとか聞き手にYesと言ってもらうかどうかのゲームが展開されている感じになる。まぁそれ自体が何となくあまり良くない気がしてしまうが、基本的にはそもそもバックグラウンドが異なる二者間で、互いに全貌を理解しあうことが困難という前提があるのかなと思う*4。だからこそ聞き手は『明らかにしたい観点』や『意地悪な質問』を用意する。全貌の理解が困難だから、ヒューリスティックな評価方法を採用しているのだと思う。

基本的には聞き手が『ノー』といえば絶対勝てる*5ゲームなので、聞き手と話し手にギャップがあるとき、ある話を聞きその良し悪しを判断する過程においては、聞き手に良心がありなおかつバイアスの少ない良質なヒューリスティクスを設計していることが、意義のある議論をするための大前提なのかな。もちろんギャップが少なければそれに越したことは無いのだけれど。

*1:もしそうだとしたらメールでそういう質問を送っておしまい、が基本になると思う。

*2:全然良くないね。

*3:メタい。

*4:話し合えばわかるという人は往々にして自分の意見を貫き通す人だ。

*5:勝ちとは?