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やりたいこと駆動とは

水曜日、朝は壊滅的につらくて、壊滅的につらかった。

今日は都内で打ち合わせ労があった。雑なパワポだったがまぁ理解してもらえた感じで良かった。ちゃんと仕事をした(???)。

打ち合わせ終了後、院のアレから書類を受け取りに来いという連絡があり、「えー」という気持ちになりつつ管理部門に怒られるのは僕なので受け取りに行くことにした。二つの組織に属するということは二つの間接部門から怒られるということなのだ。

せっかく院に行ったので自分の席で少し作業をした。その後職場の人と電話会議、30分位で終わると思ったら2時間かかった。氏は完成度をとにかくあげるということにパラメータを振り切りすぎていると思っていて、本当によくない。僕はチームの生産性をあげたいと本当に思っているのに、「こいつサボりたいだけでは?」と思われている感じがして心外である。

その後、飲み会的なアレに合流した。「仕事に不満がありそう」とか「もっと好きなこと・やりたいことを主張しても良いのでは」とか心配というかおせっかいを大量に投げられた。

そりゃまぁおちんぎんを得るためとはいえ、無視できない程度に長い時間を費やす労、楽しく過ごせたらそれは良いことだろうとは思う。でもまぁ、僕ごときが弊を変えるのはあまりに難しい。自分の意思に関係なくこれまでコロコロと所属が変わるし、トップダウンで職場は都落ちするし、いつの間にか自分の席すらなくなってしまった。そんな状況で学習性無気力になるなという方がイカれている。

とはいえ無理なこととは言え妄想でやりたいことねぇのかよみたいなことを考えてみたりすると、何なんだろうね。何かをつくるとき、それが目的というよりは、何か表現したいからつくってるという感じが何となくする。なんとなくこういうことがしたいみたいなのを目的に据えるより、何かを表現したいという目的のもと、手段としてこういうことをする、みたいな立て付けにするともうちょい考えやすいかなぁという気が一瞬したのだけれど、書いてみて何書いてんのかよくわかんなくなってきたし、実際問題何にも思いつかないのでたぶん気のせいだ。

そもそも観測対象がどのように振る舞っているのか眺めたり、その傾向を理解する類のことに関心がないわけでは無いけれど、一方でそこに自身が踏み込んで影響を与えようなんてモチベーションはあまり沸かないのだ。大きく傾向の異なる様々な箱庭を眺めていたい位だ。そういうのが良いなぁ、そういうのをやろう。大量に積んだゲームとかアニメを消費して人畜無害な感じで老後を過ごそう。