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火曜

変な時間に日記を書くのが常習化してきた(書かないよりは良い(そもそも書くことは良いのか?(「良い」とは?

火曜日はコミュニケーションの日だったのでコミュニケーションをした(無)。「来月ちょっとしたアレがあるから協力してもらうかも」みたいな告知をしたら「もっと面白そうな感じで、興味がわくように言え」と指摘された。どうやったら仕事の話が楽しく聞こえるのようになるのか教えてほしい。

「これだから技術サイドの人間は」みたいな主語の大きい煽りをされ、僕自身は慣れてるのでどうでも良いんだけれど、とはいえ「組織のいたるところで感じられるこの溝は絶対埋まらないんだろうなぁ」と思った。非技術者、あまりにあまりに技術サイドへの敬意や理解が欠如している上に、技術者側に寄り添え寄り添えというだけで自身に問題に感じていない。どこからその自信が生まれてくるのか。

とはいえ、技術者サイドから寄り添うことを求められていること自体が現実を表しているような気もしていて、何が言いたいのかというと、何某側から寄り添ってもらうことを求めること自体がそもそも非現実的で、経験的に結局技術者サイドが寄り添ってやった方がプロジェクトの成功確率が高いことがわかっているとか、寄り添い力(???)が技術サイドの方が高いとか、そういう話なのかもしれない。

打ち合わせと打ち合わせの間に時間ができたので、最近音沙汰のない僕がエーアイコンサル労を担当しているプロジェクトの人と雑談しに行った。曰く「一緒にやってる若者が僕氏に色々聞きたいことはあるっぽいが、遠慮している感じがする。今からそいつと雑談しに行こうぜ」とのことだったので、雑談しに行った。結果質問攻めを食らったので、いろいろ回答、提案をした。この労働は楽な上にちゃんと自分の得意分野が生きている気がして、何よりそこそこ楽しいので良い。出来れば定期的に進捗報告と議論がしたいとのことだったので、毎週この時間は雑談の時間とすることになった。

その後は虚無を重ねて労は終わり。とっとと脱出して夜は近所の喫茶店で論文読みをしていた。関連研究、別にとても難しいことをしているわけでは無いのだけれど、応用寄りなので新しいことをしようとするとどちらかというと課題設定が難しい。ニーズ志向でこのあたりをやるのは、弊などがまさにそうだけれど、本当につまらない虚無が生まれて限界という感じがしていて、できること・知識を増やしてシーズから攻めるみたいなことができると良いなと思っている。そんなのは当たり前のことなんだけれど、大人なのでそれを明記出来る(?????)。

夜ちょっとだけギターを弾いた。久々なのでひどかったが現実逃避になった。そういえばここ数日室内用テントを運用しているのだけれど、朝身体が冬眠してしまうんじゃないかって位冷えていたのが解決したので最高に良い。クソ狭い部屋で足りない脳みそを駆使してテントを組むという最悪のエクスペリエンスを乗り越えただけの価値があった。