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やっていき。

先週の土曜日、都内の梅雨明けの報道などもあり、実家に帰って室内の置き場に収納されたバイクなどを回収しに行こうかと思っていたら、珍しく妹から電話があった。祖父の容態が悪化したとのこと。 祖父が入院している地方の病院に家族と駆け付けると、既に危篤とのことだった。ずいぶん苦しそうな呼吸をしていた。見るからにしんどそうだった。 半年ほど前から食事が困難になり、そして今回、いよいよ安らかに眠ることすら許されなくなったというわけ。長年なんとか生きてきた人の最後がこれかと思うと本当にキツい。 その後大分遅い時間になったが容態は変わらず、祖父を見守る各位に挨拶して事前に予約していたホテルに戻った。このあたりから僕の体調が少し崩れ始めた。しゃっくりも出始めた。

翌日になっても祖父の容態はあまり変わっていなかった。危篤といっても色々あり、案外長期にわたることもあるとのことで、一度東京に帰ることにした。 危篤の祖父を前にして東京に帰宅というのも割とアレだなぁと思いつつ、これが長引いて病院に残る各位が全員ぶっ倒れでもしたらそれはそれでアレなので、 終わりがいつくるかわからない、不確定要素が大きい現段階では個人的には分散させる戦略は合理的だと思う。

とりあえず事態が変わるまでは出社していようと思ったが、まず月曜日、僕が先にダメになった。しゃっくりだけじゃなく身体のだるさがあり寝込んでいた。 結局火曜の午後から栄養ドリンクを入れて出社、しゃっくりが酷くて夜はほとんど眠れない状態が続いていた。 お陰様で水曜の朝方、『終わったこと』を伝える母親からのLINEの通知をリアルタイムで受け取ることができた。

水曜日、体調はもちろんだめ。ここまであたかも冷静に僕は振舞っていました感を出しているが(出ている?)、この日は完全にヤケクソだった。 栄養ドリンクドーピングをしまくり、定時まで仕事、その後幹事を仰せつかっていた飲み会を敢行、飲み放題だったのでヤケクソで酒を飲み、帰りにその足で新幹線、在来線を乗り継ぎ祖父の家の最寄り駅へ行きホテルに泊まった。

木曜日が通夜祭、金曜が葬場祭だった。木曜は諸々で各位バタバタしていたので、午前中から祖母の話し相手をしていた。昼過ぎごろ、流石にお前のしゃっくりおかしいよやべぇよと怒られがあったので空き時間に病院に行ってお薬をもらった。 普段僕が薬局で買ってるやつと同じのが処方されたので、こんなに安いなら今度から病院行こうと思ったりしていたが、今回は驚くべきことにほぼ効かなかった。 金曜の葬場祭で親戚の方から、ずっと肩を震わせてるから泣いているのかと思ったといわれた。残念しゃっくりちゃんでした。しゃっくりがなかったらもっと色々頭の中ぐるぐるして大泣きしていたような気もする。 諸々のあと、東京に戻った。土曜でも午前中なら病院やってるから絶対病院行けよと各位から念を押された。 特に毎晩ホテルに泊まるたびに、隣のベッドでずっとしゃっくりをしているかと思えばトイレに駆け込み吐くのを繰り返すのを見ていたであろう親にはかなり念を押された。 いやわかってますよ僕から見たってこれは異常だ。

纏めると、本当に睡眠と食事が奪われた生活というのは最悪で、本当にこんなん生きてて楽しいのかよと思いながらこの1週間過ごしていた。 生きるのはデフォルトで容易に苦行になる。それをどうにかして楽しくしていかなきゃいけないらしく、祖父は老後、勝手に家の改造を敢行したり、本を読んだり(『数学の本を読もうとしたが全然わからん』などと言っていた時期もあった。)、 そこに一緒に住む各位はそのやんちゃな姿に苦言を呈していたけれど、あれは楽しそうに見えて、実は迫りくる虚無に抗っていたのかもしれないなぁとも思える。 それが何もかもできなくなって食事が奪われたのが半年前、いや、本当にお疲れ様、つらみだらけだったのではなかろうか。そして僕は本当にどうしようね。いや本当に。

後日談だけれど、土曜日の午前中に近くの内科に行った。前回は焦ってたのもありしゃっくりが1週間近く止まらないとだけいったのだけれど、 もう少し情報量が多いよなとか、色々思うことがあり、吐き気とか胸焼けとか、以前もらった薬とか詳細に話した。 食事は普通にとるようにと言われたので、昼を普通にとった所、やや吐き気があるものの案外行けるじゃんと思い、夜もしっかり食べたら夜中にトイレとベッドの往復をする羽目になった。 そして日曜日、驚くほど快調で、もうちょっと様子を見ようと液状の諸々を摂取していたが欲求に負けてラーメンを食べてしまった。しかし何も起こらない!!完全勝利!!!!!

・・・なんて日記書いてたらしゃっくり出てきたんでデパス飲んで寝ます。おやすみなさい。