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本を読んだ。

土曜日は起きたら午後2時だった。寝たのは3時とまぁ遅いが、それにしたって11時間は寝すぎという感じがあった。金曜日は丸一日コミュ力系タスクだったし、そのあとに少しトマトをしたし、何より帰宅後にご近所さんと軽く飲んでそのあとに2時間くらいひたすらぷよぷよで対戦するなどしていたから、肉体的にも精神的にも結構疲れていたんだろうなとは思う。

まぁそんな既に半日が消滅した土曜日だったが、夕方から実家に行って、実家に置いてあるおもちゃをちょっと触ったり、晩飯をごちそうになったりした。帰りに実家の近所の本屋さんに行ったので、まぁそのあたりのポエム(ポエム?)でも書いておこうと思う。

その本屋さんは最寄り駅から近いこともあり、技術書などは近くにあるCDレンタルなどもやっている別の大きな書店などと比べても豊富だったりするので、僕が実家にいた頃からたまに行っている。今日はまぁ、せっかく実家付近まで来たわけだしちょっと寄ってみようかなという感じで寄ってみた。つまり、欲しい何かがあるわけではないのだけれど、まぁちょっと眺めてみようかな、みたいな。最近特に理由はないのだけれど、少しメンのヘラみを感じていて、そういうのも含めてちょっと鎮痛剤的なものが欲しかった。

書店に入るとまず右に曲がって細い通路に入る。左手にはビジネスマン書などが並んでおり、シームレスにエーアイやらアイオーティー、グーグル流ほげほげやらデザインシンキング的な話題に流れていく。躁なときはそういうのも手に取るんだけれど、あいにく今日はそういう気分ではなかった。右手側を眺めてみると、音楽系から始まり徐々にカメラだったり、デザイナー向けの本に移っていく。そして突き当りまで来ると情報系の本、ディープやpythonなどがやはり多いが、ちょこちょこ数学書も置いてあったり、まぁ品ぞろえが良いとはいいがたいけれど、ここで見かけて買ってしまうということもたまにある。今日はどうもそういう気分でもないんだなぁと思いつつ、ふと振り向いてみると、ちょっとしたトピックの特設コーナーがコミケのブースで言うお誕生日席的なポジションにできていた。シームレスにエーアイやらアイオーティ、グーグル流ほげほげやらデザインシンキング的な話題を追ってくると、どうやらここにたどり着くらしい。それは、なんというか断片的に言葉を挙げてみると、『やりたかったこと』とか『人生』とか『カフェ』とかまぁそういう感じのコーナーだった。

こういうの、脳裏に地方で生きる細見のイキってる人が浮かんだりして、何となく苦手意識があるのだけれど、苦手意識があるからこそ手を取ってみるべきだし、一方で何となくちょっぴりそういうのにひかれる感じがないわけでもないので、最終的にそのコーナーから3冊ほどお買い上げ。計3000円ちょっと、技術書と比べて異様に安いのでビビる。もともと洋書の翻訳版的なやつを1冊、仕事を辞めてカフェはじめましたみたいな異世界転生モノ(????)のを1冊、そして規模の小さい複数の仕事で生きていく反企業系(???????)系を1冊、攻守のバランスを考えすぎた結果、何がしたいのか全く分からないという僕らしいデッキ構築である(????)。

1冊目の洋書の翻訳版はまだ読んでなくて、残りの2冊を読んだという感じ。正直2冊目は本当に微妙で、『会社やめてはじめたカフェ、最初は大変だったけど色々イベントあってみんなでサイコーに盛り上がれたんだぜ』的な武勇伝という感じがあり、なんというかまぁやってた本人とか、その場で実際に起こっているのを目の当りにしたら楽しかったんだろうけれど、文章にされるとなんかいまいちだった。ライブ感みたいなのが大事みたいなことに言及していたような気もするが、『・・・いやほんとそれな』という気持ちになった。ちょいちょいポエムが交じっていたり、あとデザイナーかぶれにありがちなちょいちょい読みやすさを損なうタイプの自己満表現っぽいのがあり、厳しい気持ちになった。

で、案外良かったのは3冊目だった。2冊目が微妙だったので相対的に高評価になってしまうのだが、まず文章が読みやすいなぁと思ったら、著者が圧倒的な大学の理系修士という感じで、まぁ人によっては2冊目の本の方が読みやすいのかもしれないね、という気持ちになった。

以下3冊目の大まかな感想的な長文かつポエムなのでアレ。

大雑把かつうろ覚えで概要を書くと、自身の生活における企業などに外注する部分を、少しずつ自分でできるようにして、その経過を楽しんだり、そこで身に着けたスキルで生活コストを下げていったり、食って行こうというアプローチの話。企業に依存することのデメリット起点で話が始まるので、すっと入ってくる上にちょっと耳が痛い感じだった。

『企業にやってもらっていたことを自分でやる』ことについて考えたとき、ごくごく単純な問いの一つとして『企業より個人でうまくコスパ良くできるんだっけ?』があるけれど、企業の弱点として、『社員に給与を継続的、安定的に供給しなきゃいけないこと』とか『企業の看板を背負ってプロとして満点のサービスを用意する必要がある』みたいなことがある。だからこそ、そもそもスケールが小さいもの*1や、頻度が少なかったり季節性だったりするもの*2、あとは利用者に満点を諦めてもらって、むしろ少し手伝ってもらったり、プロでないことが逆に付加価値になるもの*3は企業がやるより低コストで満足度が高くなるものを提供できる可能性があるとのことだった。世の中にいろんなプロがいるけれど、敷居が低いものから高いものまで全部ブラックボックス的にプロとして扱われる。敷居が低くて楽しそうなところを見つけていこうよ、的な感じ。

普段『大企業だからこそ出来ないこと』を痛感することがある。それは前述の諸々の裏返しなので、そのあたりが個人なら拾えるみたいな話になると、僕にはいきなり甘美な響きに聞こえてきたりする。企業だからこそできることは減っていて、ポジティブに言えば個人でもできることは増えている気がしていて、企業のやり方としては、そういう個人のやり取りをやりやすくして、中抜きで稼ぐパターンが生まれる。MercariとかUberとかAnycaとか、あとはDMM英会話なんかもこの文脈で語れるのかな、色々な企業が脳裏でぐるぐる。

・・・と色々考えた末、『そういやそもそもこういう技能的なものを、一か所に集めて効率をあげにいったのが今の企業概念なんじゃなかったっけ?』と思ったけれど、結局当時だったらそれが適切だったけれど、今はそうでないものというのはまぁ多々あるよね。日本は倒産が少ないとかトップ企業が入れ替わらないとか聞いたことがある気がするけれど(要出典)、それはつまり『今あるべきでない企業がいっぱい残ってるんじゃない?』という感じにとれなくもない。だとすると個人でやった方が良さげなこと概念、日本では特に余地があるやつなのかもしれないねと。

一方で企業だからこそのメリット・・・何かあるかなぁ、企業がやってるからこその信頼とかもあるかもしれないけれど、有名企業ブランドで随分お粗末なモノが出てきたりするし、個人間のやり取りにおける信頼性の担保も割と進んでいる・・・要はアレだよね、ヤフオクとかでもあるけど利用者からの評価とかSNSでのセルフブランディングとか。インターネットでこういうのができる人は企業の後ろ盾はいらないし、そういう人が対象読者。一方で、これが苦手な人は企業の後ろ盾の中でやっていくことになるのかな。

いやしかしまぁ労をしないとお金が入ってこないのを前提とすれば、出来るだけ好きなことをやってお金も入ってくるというのは魅力的な話な気がする。それは別に企業ではできない話ではない気もしているのだけれど、どうしてクソゲーに叩き込んで『楽しめないお前が悪い!!!』みたいな感じになるんだろうねぇ。

*1:料理とか

*2:果物のネット販売とか

*3:結婚式を例にあげてた