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アヒルと社会とそれから私。

今日は精神衛生面でやばみがあり、この状態で日記を書くとやばさがあるので昨日ボツにしたポエミーな日記を投稿することでノルマ達成とみなし、自己肯定感++したことにする。いるかどうかわからない読者各位は週末に行った旅行の最終日、僕が日記を書いていると想定して以下お読みいただきたい。 

 

今日は旅行最終日、昨日お世話になった風呂桶で浮かぶこともままならないアヒルさんにもお別れを告げ、ホテルの部屋をあとにした。今日も車で周辺の国立公園を回るなどしていた。 

 

よくよく考えてみると、今回の旅行は九州の端から北海道の端まで位の移動距離で、パッと見なかなか凄そうな感じだ。この凄そうな感じという概念はなかなかクセモノで、所詮休日を潰し飛行機代などを払えばこの程度の経験は誰でも出来るのだが、なんとなく少し凄そうな感じが出てしまう。

 

旅行の距離なんてのは可愛い例だけれど、大したことをしてないのに偉そうに語る人にはなりたく無いものだ。多くのすごいことは専門外の方々に詳しく語ることが困難な場合が多い。高校生の頃に通っていた予備校の講師が「物理は君たちのレベルまで降りてこない」と仰っていたが、理解するには僕らが這い上がるしかないということだろう。受け身では厳しい。そのような性質上、話し手側は難しいことを習得することより、大してすごくない話をわかりやすくすごい感じに話すことにステ振りした方がコスパが良さそうだ。厳しい。

 

難しいことをきちんと理解し、わかりやすく話すことの困難さと重要性、これについては学生時代、僕自身かなり痛感していた。研究室では多くの優秀な先輩に囲まれ、そして彼らはほぼ例外なく自身の研究に関して、指導教員への説明、説得に苦しんでいたと思う。当然僕も苦しんだ。技術への興味がありながらも、自身の適性の低さに気づいた僕は、優秀な人々の説得タスクを肩代わりするような仕事が出来ると良いなと感じ始めた(というか今思うと完全に鬱をこじらせていて、なんとか何者にもなれない自分の居場所を模索していただけなのだと思う)。ちょうど就活の時期だった。そして就職して以来、(実態はどうであれ)一貫してそういう機能を持つ(と僕は思っている)部門に所属している(つもりでいる)。

 

働き始めて、職場で目立つ人には2つのタイプの人がいることに気がついた。1つは実現性を重視せず、夢物語を語る話上手な人、そしてもう1つは、学生時代よく見たタイプの、熱意を持って技術開発に取り組み、それを苦労しながらも相手によって適切な伝え方を選択できる人々であった。色々眺めているうちに、僕は「代わりに伝えてくれる人なんて必要なかったのでは?」と思い始めた(当然、僕自身にそんな能力があったかはまた別の話だ)。もちろん、説明や説得がなかなかできない、したくない優秀な方々だっているだろう。そういう人たちは目に光を失い衰えていくか、よりよい場所を求めて出て行く。もちろん、説明することができる方々もそのコストが割にあわないと感じたら出て行くけれど、それもまた別の話。

 

「優秀な人の代わりに〜」みたいな気持ちは今では完全に冷めており、正直鬱こじらせた無能のお花畑的発想だったと思っている。冷静になってみれば、僕だって正直厄介ごとには極力巻き込まれたくない、当然だ。一方で、最初のモチベを完全に失い、現状と釣り合わない謎のご立派な肩書きがひっついている今の状態をこれからもずっと続けるのは、精神面でも、もちろん将来を考えても色々不健全だなと思っている。みんなもその肩書きが付いてるから気にすることじゃない??全然そういう話じゃないんだよ・・・。じゃあ代わりに僕は一体何になる?何になれる??

 

アヒルさんも社会も僕も、みんなそれぞれ違った厳しさを抱えている。とても厳しい。